床が抜けるかもわからんね

今何気なく本棚の本を数えたら余裕で400〜500冊ありました。ちょっと異常事態ですね。物を捨てられない。貧乏性だから。
なんとかしないとなとは思うのです。でも整理し始めたら「幕張」とか「マサルさん」とか「スラムダンク」で手が止まる事必至。「幽々白書」なんかも結構やばいですね。昔のジャンプは破壊力抜群です。



漫画ってものは一般にあまり教育によろしくされていないとされ、なかなか偉い人がそれについて語ることはないのですが、最近読んだ養老孟司著の「唯脳論 ―対話篇―」という本の中で養老さんがなかなか興味深い発言をしていました。難しい話なので自信がないんですが、漫画という物は絵を漢字に見立て、吹き出しや擬音を漢字のふりがなに見立てることで、日本人の特殊な言語的感性に非常にマッチしていることのではないか、ということみたいです。



確かに日本人は輸入した文字である漢字を使うにもかかわらず、それに日本独自の文字である「かな」をふりますね。その上日本語には擬態語、擬音語が英語などに比べ非常に多いため、絵の状況を表現するにはとても向いているように思えます。英語の漫画なんかを読んでみると、擬音の多くが既存の動詞や名詞を使って表現されてるんです。BOOOMB!とか、CRAAASH!とか。これだと細かい表現はちょっと難しそうですよね。



しかしなぜ日本人はそんなに漫画好きなんでしょうか?
これはちょうど今日大学の講義で聞いた話になるんですが、ヨーロッパ系の文化は非常に物質的なもので、形のあるもの、確かに目に見えるものだけを信じるという非常に視覚的な文化であり、ビジネスなんかでも契約書等の確固たる確約がないと決して納得しないんだそうです。
逆に日本の文化は非常に流動的で、その場の状況を常に気にして全体のバランスを考えるんだそうで。書類通りのことをするよりも相手の意をくむ事の方が重要なので、視覚的なものよりも聴覚的なものが重要視される文化だと言うことです。



聴覚的感覚が問題とされる日本において、なぜ「目で見るもの」の代表である本、しかも漫画がこうも普及したのか。俺は、実はこれは逆転の発想なんじゃないかって思ったんです。聴覚的な文化である日本では、その感覚は非常に発達しやすい。しかし、やはりそれだけではやっていけず、視覚的な感覚も現代では必要とされているため、もっとも手軽でなおかつ日本人の言語形態にマッチした「漫画」というものが日本人に浸透したんじゃないだろうか。



そう考えると、漫画ばかり読んでいる子供が多くなっている昨今、世界基準から考えた算数や理科の成績は落ちていても国語の読解力が未だに世界トップクラスを維持しているんだし、これから海外にも進出する準備なんだから、漫画もそう悪くないんじゃない?ってことになるかもしれないですね。








以上、掃除をしない言い訳でした。